9.11.2001
2001年3月
父には本当に渡米直前までアメリカ行きの計画を話さず、
1年位の社会勉強のつもりでサンフランシスコに渡米
世間知らずだった私は、、、、
というかアメリカに行きたいとか思った事が無かったのでビザの事情等何も知らずに
人に勧められて学生ビザを取ってやってくたわけです
現地の日本人相手のお土産屋さんを手伝いながら、語学学校に行き、、、
当時29歳
全く英語の分からないままアメリカ生活を始めた私は、
人の話をある程度、英語で理解できるようになるまで約2年位かかったと思います
それまでは、聞いていても50%以下位しか確信を持って理解できなかった(汗
そんな英語能力でしたから
9.11、朝何も知らずに学校に行って、あのニュースをテレビの前で皆で見ます
でも弾丸トークのように聞こえてくる英語のニュースはほとんど理解できなかった半年目
今思うと、あんなに非現実的だった日も自分の人生の中には無いような気がします
小さな街ですがbank of americaの本社ビルがあったり、
Golden Gate Bridgeのような象徴的な場所もあるので
不明になっていた一機がサンフランシスコに向かっている可能性もある、と噂も流れ
あんなに英語が100%理解できない事で不安になった事はありません
今でも100%英語が理解できる訳ではありませんが、
ありがたい事に、家族(夫だけですが)も友人も、そしてクライアントさんまでも、
英語が第一カ国語でない私にイライラする事も無く、
そして根気よく聞いてくれたり教えてくれたりします
自分の日本人としてのアクセントを好きだと思えるようになったのは
5〜6年位目かな?
それは自分の不完全さが好きに無っというよりも、
色々な国の人と会い、
例えば、フレンチ・アクセントやイタリアン・アクセント、
南アメリカのアクセント等々を聞き取れるようになって、
如何にそれがセクシーであったり、
時に重要なidentityに繋がっているか?という事に気がついたからかもしれません
、、、まあ、時に好きになれないアクセントもあります、、
だから私のアクセントを好きじゃない人もいるでしょうね?
まだまだ、RとLの発音、等等、日々失敗談は一杯ありますが、生きていくのに問題は無し
これから日本語以外の国で生活しようとしている人に頑張ってもらいたいのは、
やっぱり、話せなくても現地の言葉のネットワークに飛び込む事
初めはめちゃくちゃでもいいから、話そうとしてみる事
分からなかったら、「yes yes」等と言って分かっているように適当に流すのではなく、
きちんと相手に聞き返す事
自分もそういう行動をとってしまう事も昔は多くありましたが、
日本人の渡米したての学生さんや、「ローカルのネットワークに入っていけない」と
苦労をしている人に一番多く見てきたのが#3かも、、、
分かってなさそうだな〜と私には見えるのに、
皆さん結構、「うんうん、そうだね〜」と相づちを打っている
分からない時は分からない顔をできる素直さも大切だし、それは恥ずかしい事じゃないです
まあ、私もそう変わるのにちょっと時間がかかったけど、
そう変われると、環境が一変します
10年
私はこの先どの位アメリカに住む事になるのだろうか?
未来は分かりませんからね
私がアメリカにこれだけ長く住むとは思わなかった10年前のように
